井ノ上 東一(親方)
私の力の限り一人でも多くの後継者を育てていきたい
私の力の限り一人でも多くの後継者を育てていきたい
高校を卒業して18歳で鹿児島から上京し、イス張り職人の見習いとして島村信夫親方に師事。その後、(株)司装備の工場長として百貨店のお客様のイス張りに携わり、昭和58年に椅子張り職人として独立。昭和63年に有限会社 東加工所と法人化。以後、イス張り職人の道一筋でここまで多くのイスを手掛けている。
その後、日中は打ち合わせや引き取り、納品などを行い、空いた時間や夜がイス張り職人として工場で作業を行う時間として毎晩午前1時頃までイス張りをして自宅に帰るという仕事ぶりでした。それまでは休みは年に数回でした。太平や荒川が一緒に働くようになり、だんだんと親方は日中からイス張り職人の仕事に専念できる様になってきました。
次なる目標に「若手のイス張り職人を育てる」ということを掲げ、「イス張り職人になりたい」と門を叩いてきた若者を一人前に育て上げて、独立させようと考えました。イス張り業界で有名な会社からも頼られる親方のイス張り職人としての腕を一人でも多く後世に残そうと工場内では今日も檄を飛ばしています。
夢の一つだった、「生まれ育った鹿児島で椅子張りを行いたい」と2011年11月より5年4ヶ月間、AZUMA九州工場として近隣や鹿児島空港の椅子張り替えを行い、地元愛を深めて埼玉へ戻り、一椅子張り職人としてお客様の椅子と今日も向き合っている。
鹿児島県立栗野高等学校木材工芸科を卒業して東京へ出てきたのが昭和三十九年の春でした。高校三年生の夏、職場実習で家具屋さんの丸ピアノ椅子の張り加工(深紅の布)を見た時、その椅子の柔らかさ、曲線のすばらしさに魅せられ、これこそ一生の仕事と決意し、今まで四十三年間続けています。
納期との戦いです。
一生懸命にイスを張り上げてお客様のありがとうの一言です。
私の力の限り一人でも多くの後継者を育てていき、イス張りの技を伝えていきたい。
お客様が「東加工所に張り替えを頼んで良かった(ありがとう)」と言われる仕事を続けてまいります。よろしくお願いいたします。
AZUMAにて椅子張りを極める道を進んでいる
AZUMAにて椅子張り技能を自分のものするために邁進中
ものづくりの道筋を的確に判断するセンスをもっている